● キャプテン翼 武南 高校サッカー 三杉淳 星野晋吾さん あれこれ
そういえば、と思い、探してみました。
サッカーダイジェスト
1981年10月号
インターハイの記事があって、
『56高校総体
湘南の夏を駆け抜け
冬の峰に
一歩近づいた選手たち』
(写真には写ってませんが、「冬の峰」の文字の上に、「高校選手権」と書いてあります)
このページに、何人かの選手が出ています。
武南の選手も出ていて、そのユニホームが・・・
あれ?
上から、『白×紫×白』のユニホーム
肩のところの、『青』と『赤』
どこかで、見たことありますね。
ユニホームのメーカーは、チャンピオンっぽく見えるんですけど、どうでしょう?
上の写真の武南のユニホームは、襟のとこにも赤と青のラインが入ってて、武蔵FCは入ってないけど、キャプテン翼の武蔵FCのユニホームに似てますね。
↓
で、
フィールドの貴公子 三杉淳の背番号は、「14」
上のキャプテン翼8巻のユニホームとは、肩のところの赤と青の位置が入れ替わってますね。
このユニホーム、背番号14を見ると、武南の14番だった、星野晋吾さんを思い出す僕だった。
ウィキペディアを見ると、キャプテン翼の連載開始は、1981年18号からのようですね。
武南の写真が出ていたサッカーダイジェストは、1981年10月号。
インターハイが開催されたのは、8月。
1981年8月に開催されたインターハイの記事が、10月号に出ているんですね。
この年の武南は、インターハイ2回戦で、優勝(2連覇)した清水東に敗れてるので、たぶん写真は、1回戦か2回戦の写真じゃないかな?
キャプテン翼で、南葛と武蔵FCが対戦するのは、全少の準決勝なので、連載が始まってから、チョイ経ってからですよね。
となると、
たぶん、1981年のインターハイの方が、キャプテン翼の南葛と武蔵FCの対戦よりも、先ですよね?(あってます?)
武蔵FCのユニホーム、背番号14、三杉淳を思い出すと、武南が優勝した時の14番、星野晋吾さんを思い出す僕なのだった。
「ユニホームが似てて、背番号は2人とも14なので、三杉淳って、星野晋吾さんがモデルなんかな~」
なんてね。
僕、詳しくないんですけど、三杉淳のモデルになった人って、誰かいたんでしたっけ?
僕が最初に見た高校サッカー選手権の優勝チームは、武南でした。
選手権は、白×紫×白だったけど、メーカーはアディダスで、今回の写真のユニホームとは違うデザインでしたね。
選手権優勝の時のユニホームも、カッコよかったです。
決勝の柴崎薫さんの1点目、その前のとこの、切り返してから柴崎さんに出した星野晋吾さんのパス、武南の2点目の星野晋吾さんのゴール、今も覚えてます。
韮崎の緑に袖のところは白のユニホームも、カッコいいですね。
僕、背番号「14」は、とても好きな番号です。
14番を選んで、試合に出ていたこともあります。
ヨハン・クライフの番号で、ヨハン・クライフさんは好きな選手なんだけど、たぶん僕が最初に背番号14を意識したサッカー選手って、星野晋吾さんなんですよね。
テレビで見た、高校サッカー選手権決勝での活躍で、背番号14が好きになったというかね。
当時毎週読んでいた、キャプテン翼の三杉淳もプレーがカッコよくて、さらに背番号14が好きになったってのもあります。
でもね、
実際の僕のプレースタイルは、
「フィールドの貴公子 三杉淳」
というよりも、
石崎君タイプなんですよね。
石崎君も、14番付けてましたよね。
僕、中2(だったかな?)の時に、14番で大会に登録されたことがあるのですが、まあ僕の場合は、
「頼むぞ!!」
という感じで、期待されての背番号14ではなく、
15人メンバー登録した内の、14番目の選手みたいなポジションでの登録でした。
背番号14を付けて、ゲームで華麗なプレーを見せて、「フィールドの貴公子」と、僕も呼ばれてみたいものです。
14番でも、石崎君タイプのプレースタイルな僕は、そんなふうに思うのだった・・・